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7ページめです
2005年がスタートしました〜今年は真面目にリズムと波にのれるように頑張るぞ〜
パステルブレンド
パステルブレンド 絵の具でもコーヒーでもないんです。
大阪の岸和田にヤングという楽器屋がありました。(今でもあるんかな〜?)
ヤングはパール時代に担当楽器店で廻ってました。
ヤングは岸和田らしく、とってもヤンキーな店員ばかりで
なかでも中飯さんという古株の店員は(アルバイトやったかも)とっても
店のなかで力があったな〜

中飯さんはパステルブレンドというポップスのバンドのリーダーでした。
決して男前じゃないけどバンドは女の子のファンが沢山いました。
ライブも大阪バナナホール、コットン100%(今でもあるんかな?)で
大活躍してておまけにバンドのグッズも販売してました。

ある日、中飯さんが『話あるから仕事終わったらこいや〜』とヤンキー言葉で
いいました。なんか嫌〜な予感がしたんですが・・・・

『あんな〜今度ポップコンの決勝戦でるかもしれへんねん』
『え〜それは凄いでんな〜』
『あたりまえや〜』『・・・・』『ほんでな〜実話ギターが抜けるねん』
『そりゃ〜大変でんな』『そこでやな、お前に頼みがあんねん』
『はぁ〜』『お前ギター弾いてくれんか〜』
『えっ、無理、あんなギターひけまへん』『武道館やど〜上手いこといったらプロやど』
一瞬、それもいいかも〜と思ったんですが・・・・・
『もし、バンド入るんやったら仕事やめや〜』『えっ、プータローでっか・・』
『まあ〜ゆっくり考えとけや、今度オーディションするからな』
でも、ポップス系のバンドってVo以外の人ってどっかに消えてるな〜なんて
思ったりしたもんで、オーデションには参加したけど僕より上手いギターもいたし
丁寧にお断りしました。

もしあの時、なにかの間違いでプロにでもなってたら
よっちゃん(野村義男)みたいにアイドルのバックでギター弾いてたかも・・
そんな訳ないか〜
エリちゃんの勘違い
阪南楽器、大阪の泉南にあった楽器屋さんです。今でもあると思いますが・・
アルバイトのエリちゃんという女の子がいました。エリちゃんはサーファーでした。
いつも潮で焼けた茶髪に真っ黒に日焼けした顔やったな〜(顔黒ではないんですが)

エリちゃんはとっても明るく気さくな娘でした。
ある日、エリちゃんと音楽の話をしてて どんな音楽きいてるって話になりました。
エリちゃんはサザン、達郎〜っとサファーの好きそうな名前を出してきました。
そして僕は当時 人気のあったマリーンの名前を出したんです。
『マリーン?誰それ』まあ、ジャズフュージョン系のボーカルやから
皆知らんかったんですわ・・・
阪南楽器はレコードも置いてました(当時はまだレコードが支流でした)
レコード棚にマリーンの『IT'S MAGIC 』があったんです。スクエアの曲の
『エリちゃん、これやがな〜』『ふ〜〜ん』『そんなんが好きなんや〜』
『へっ・・・』なんか変な方向に・・マリーンはヒィリピン人やから・・・
おいおい・・・エリちゃんの頭の中では、僕は東南アジア系の娘が 好きな奴
というイメージがインプットされてしまいました。

そういえば、楽器メーカーの営業と言うだけで僕をプロのミュージシャンと       勘違いしてる人もいて、セッションしたりトラ(業界用語ですかね)でギター弾くと
無茶苦茶な注文されて困ったものです。
『あんな〜ここでギター、ベックのように弾いてくれへんか〜』
あの〜そんなん出来たら 楽器売らんとプロのミュージシャンになって
レコード売ってまんがな〜
チキンジョージ
2005年は酉年です。チキンですね〜まあ、チャーリー・パーカーはチキンが好きで
バードと言うニックネームがついたらしいですけど(ですよね?)
僕はチキンと言えばジャコ・パストリアスを思い出します。
それともうひとつ思い出すのが、神戸のチキンジョージを思い出します。

パールの営業で神戸を廻ってた頃、サウンドRという楽器屋がありました。(今は無いらしい)神戸の楽器屋らしくチョットお洒落な店でした。
いろんなプロの方も出入りしてたな〜ナニワの清水さん、力哉さん、それと多分熱帯
のカルロス管野さん(当時はアマチュアですが)その他いろいろ・・・

ある日、社長が『あんな〜今度俺の友達がライブハウスするねん』
『へ〜っ、凄いですね』『ほんでな、ドラムはパールにしようと思ってんねん』
『おおきに〜』『せやさかい、安うせんか〜い』『まかせといてください』
と言うことで一代目のドラムは僕が納品しました。
まさかその店があんなに有名になるなんて思わなかったんですが
そう、その店は震災前の生田神社前の『チキンジョージ』やったんです。
でも〜震災で旧店舗は崩壊しましたが見事新店舗になって復活しました。
いい店にはいいミュージシャンが集まり、そして本当の音楽を聴きたいお客さんが
集まるんですよね〜
坂野のくん
坂野くん、さかやん 坂野くんと初めて会ったのは四ツ橋のキャットです。
キャットはオルガンの寒川さんが興したミュージック・スクールです。
ギターは三原さんと布施さんが教えてました。僕と坂野さんは三原さんに師事してました。
僕も坂野さんも仕事の関係でいつも遅い時間の授業でした。
先生が『今日は一緒にやってみるか〜』って言いました。
教室に入るとメガネをかけた真面目そうな(?)坂野さんがグレコのレスポールを
持って座ってました。
自分は上手いかもって勘違いをしてた僕は(皆さんも一度は思ったことありますよね・・・笑)ちょっと自身をもってたんですが、その愚かな自信を壊してくれました。
坂野さんは(笑)三原さんの書いた譜面を涼しい顔して弾くんですよ・・坂野さんは
僕は『仕事が忙しくて練習して無いので弾けません』といつも言い訳してました。
すると先生は『君は教え甲斐がないな〜』と何時もぼやいてました(笑)
村山くんに坂野さん、あの頃から上手かったな〜

そういえば、坂野くんの家でセッションしててお母さんに夕食をご馳走になりました。
何年かして坂野さんの家に電話したときにお母さんは『○○くん、元気にしてる』と
覚えてくれました。
そんな、坂野さんのお母さんも亡くなられたそうです。
ご冥福を祈ります。
           お母さん 坂野さんは一段と上手くなってました。
           僕は相変わらず、ヘンテコリンなギターを弾いてます。
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